長いです・・・w
先週の日曜日、嫁はんが所用で子どもたちを連れて実家に帰ると言うので僕はお留守番。 日曜日の丸一日のフリータイムなどめったにないのでせっかくだから好きな事をやってやろうと思い、朝11時頃からデジイチ持って散歩。それも旧西国街道(山陽道)を西舞子から塩屋まで歩いてやろうと。 まずは家から西舞子漁港まで歩く。 舞子六神社の大黒さんの笑顔が可愛い。 この大黒さんの足元に生えてるのはサルノコシカケ? さて国道2号線に出ます。 文政8(1825)年に海の安全と子どもたちの健康を願って建てられたのは舞子延命地蔵(たたき地蔵)。 今も昔も子どもたちの安全を見守ってくれてます。これからも宜しくお願いします、とお祈りしてきました。 この延命地蔵から道を挟んで向かい側はかつてこのブログでも紹介しましたが江戸時代から昭和初期まで高級料亭が立ち並んでいた所です。 そのうちの一つの伊藤博文、勝海舟、坂本龍馬も泊まったと言う「萬亀楼」の昭和初期の写真 2010年9月5日の写真。 まだまだ東へ。 舞子公園内ではかつてこの地にあった武藤邸の修復工事中です。 「武藤さんって誰やねんっ」って感じかもしれませんが、簡単に言えばカネボウの昔の社長です。 東京の鐘ヶ淵にあった紡績会社が「鐘ヶ淵紡績」つまり「カネボウ」ですが、 明治、大正時代は実質的な本社は神戸の長田の東尻池っちゅーところにありました。 カネボウが倒れかけた時に三井銀行神戸支店からカネボウに入社して後に「中興の祖」と 呼ばれたのが武藤山治さん。このお屋敷の主です。 今はホントに倒れてしまって化粧品は花王の傘下に入りましたが。。。 この旧武藤邸は11月に公開予定です。 で、この武藤邸から北に約300mぐらいの所にあるのが「旧木下邸」。 この日のメインの訪問先です。 昭和16年に貸船業を営んでおられた又野さんと言う方が建てられたお屋敷で、その後昭和27年に木下吉三左衛門さんの所有になりました。 「それもまた誰やねんっ!」って感じだと思いますが、舶用ディーゼルエンジンのメーカーとして有名な阪神内燃機の前身の木下鉄工所の創業者です。 現在は兵庫県の所有で、神戸大学の建築の先生が3年以上かけて修復されて去年から公開されています。国の文化財にもなっている数寄屋造りの建物です。 門から玄関までのアプローチが長い、典型的なお屋敷。 やっとたどり着いた玄関。 我々庶民から見ると玄関の敷石だけでも圧倒されます。 受付で署名してから中に入ります。「入館料」としては無料ですが、維持をするための「協力金」として100円を箱に入れますが、結論から言うと100円でも安すぎる気がします。 受付を通ってまずは左側の洋室に案内されます。 ここで垂水区の観光ボランティアの方に冷たいお茶を入れて頂きました。他にお客さんが居なかったのでマンツーマンで説明して頂けました。 昭和16年に建てられたこのお屋敷。ほとんど当時の物を活用して復元されています。 昭和16年と言うと戦争が始まった年ですから物資統制も厳しく、その中でよくこれだけの物を集められたと観光ボランティアの方もおっしゃってました。 まずこの床の造り。「寄木造り」と言うそうですが、今の家のフローリングとは比べ物にならない手間暇がかかっていますね。 窓ガラスや桟、電気の傘も当時の物。 洋室を出て、家の中を見て回ります。時を忘れてじっと見とれてしまうような造りがあちこちにあります。 特に僕が思わずガン見してしまったのがこの建具。素晴らしい。 昔は建具と言うのは季節によって取り換えた物だそうです。これはもちろん夏用です。 二階に上がります。 瓦は建築当時からの淡路瓦と復元時に新しく入れられた物が混じっているそうです。 向こうに舞子ビラが見えます。 庭に出てみます。 なんとゆったりした贅沢な空間でしょうか。 決してバーベキューやゴルフのパットの練習なんか出来る雰囲気ではありません。 で、軒先にぶら下がっているのは何? なるほどね。夏にスダレをかけるための物ですね。 こんな細かいディテールにこだわる昔の人ってやっぱり凄い。。。 っていうか、今のように娯楽の少ない時代は「春夏秋冬によってワビサビを楽しむ」と言う感性が今の人の何十倍も何百倍もあったんだろな。日本人として無くしたらアカン物でもある。 さて旧木下邸を出て再び西国街道(国道2号線)を東に歩きます。車がびゅんびゅん通る国道沿いですが、よく見るとやっぱり「昔の街道沿い」だと思わせる建物が結構あるんです。 垂水を過ぎると塩屋までは単調な景色が続く。それが、前の記事の「もうアカン」のヒマワリであります。炎天下の中、これはツライ・・・。 やっと塩屋に到着。 塩屋は神戸の異人館に住んでいた外国人達の別荘地でもあって、異人館がチラホラあります。 そのうちの1つグッゲンハイム邸。 現在はステンドグラス作家の方の個人所有になっていまして内部が公開される日は多くないですが、よく音楽会や美術展なんかがされています。一度見てみたいんだけどなぁ。 で、塩屋は「播磨の国」の最東部。ここから東は「摂津の国」になります。 大宰府に流される菅原道真を迎えに播磨の国の役人がここまで迎えに来たと言います。 合流したのがこの橋の上だとか。その名も「菅公橋」の上からグッゲンハイム邸を望む。 って言うか、今はただの電車の跨線橋なのですが、そんな由緒の名前だけ残ってるのがロマン。 阪神大震災で古い建物もだいぶ少なくなりました。古い物は維持するのも大変でお金もかかるのですが、壊してしまえば二度と見れません。木下邸の観光ボランティアの方もおっしゃっていましたが、公開はされていないけども素晴らしい建物も地元にはあるそうです。なんとか残していって欲しいな。
by tako_suke
| 2010-09-10 00:01
| 郷土史
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